日本ワイン、その過去と未来-パート 1


日本のワイン造りはこの10年で飛躍的な進歩を遂げた. ワイン講師でありワイン専門通訳・翻訳者でもある小原陽子DipWSETが国内から見た現状を報告する。
日本の酒と聞いて多くの人が思い浮かべるのはまず日本酒だろう。だが日本では現在、500軒近いワイナリーでワインが造られている。ワイン造りの歴史が比較的浅いこの小さな島国のワイン産業は、急速な成長と共に特にここ10年でその品質が飛躍的に向上した刺激的な世界だ。
では、どのようにして日本のワイン業界は今に至ったのか。日本ワインはどこに行けば手に入るのか。前者の問いにはこの記事で、後者には来月の続編でお答えしたいと思う。
「日本ワイン」とは
日本のワインについてまず明確にしたいのは、「国産ワインJapanese wine」と「日本ワインJapan Wine」の違いだ。
2018年まで使われていた「国産ワイン」という用語には、希釈した輸入濃縮果汁を発酵させたり、輸入バルクワインを加工したりして日本で製造されたワインも含まれていた。だが現在は「国産ワイン」という言葉は使われなくなり、「国内製造ワインDomestically produced wine」という用語が日本で加工されたすべてのワインに、そして「日本ワイン」は、「国産ぶどうのみを原料とし、日本国内で製造された果実酒」だけに使用されるようになった。
この2種のうち、品質とストーリーの両面ではるかに興味深いのはもちろん「日本ワイン」であり、この記事で扱うワインもすべて日本ワインである。
日本のワイン造りの歴史
日本に初めてワインが伝わったのは宣教師フランシスコ・ザビエルが薩摩の島津貴久に贈答品としてワインを献上した1549年のこととされる。しかし本格的なワイン造りが始まったのは1800年代後半だ。ブドウを原料としたワインに近い飲み物の記述はかなり古くからあるものの、最初に商業的なワイン造りが始まったのは1870年代初め、山梨県で法印を務めていた山田宥教が、酒蔵を営んでいた詫間憲久を誘い、甲州と山ブドウを使ったワイン造りをしようと1874年に会社を設立したことに始まる。山田がワイン造りに興味を持ったのは、若い頃横浜で外国人がビールやワインを楽しんでいる姿を見たことがきっかけだったという。
ちょうど同じころ、日本では国策として北海道(主に北米品種)、東京(国内外の幅広い品種)、兵庫(ヴィティス・ヴィニフェラ)に育種場や醸造所の建設が進み、1877年には高野正誠と土屋龍憲という2人の若者がフランスへ派遣されブドウ栽培とワイン醸造の技術を習得することになる。
しかし彼らが帰国する頃に国内情勢は一変、ワイン造りはもはや国策ではなくなってしまっていた。それでも、高野や土屋のゆるぎない情熱に後押しされ、山梨をはじめ新潟や茨城など各地で民間のワイン造りは続けられたのである。
ところが、島国である日本でワイン文化はガラパゴス的な進化を遂げることとなる。明治時代(1868~1912年)になると、ブドウを原料とした甘くアルコール度数が低い「薬用ブドウ酒」が急速に普及、日本における「ワイン」の主流となった。その結果、日本のワインは「甘くて味はそれなり」というイメージが定着してしまったのだ。
そんな日本のワイン造りを変えたのが、「日本ワインの父」と呼ばれる1人、浅井昭吾である。山梨県ワイン酒造組合会長であり、メルシャン勝沼工場(現シャトー・メルシャン)工場長でもあった彼は、日本で栽培される欧州品種から「世界に通用する高品質なワインが造れるようになる」と信じていた。1976年、彼は桔梗ヶ原で品種をメルロに絞って栽培することを決意した。そのファースト・ヴィンテージであるシャトー・メルシャン桔梗ヶ原メルロー1985はみごと1989年のリュブリアーナ国際ワインコンクールでグランド・ゴールド・メダルを受賞したのである。
麻井宇介のペンネームで執筆活動も行っていた浅井はまた、地元品種である甲州を使ったシュール・リーの技術を勝沼の近隣のワイナリーにも共有、山梨県全体のワイン産業の推進に貢献しただけでなく、国内の多くの地域でヨーロッパ品種が栽培されるよう促した。
その後浅井の薫陶を受け、(「バローロ・ボーイズ」をもじってつけられた)「ウスケ・ボーイズ」と呼ばれるようになった若いワインメーカーたちが日本ワインの品質を着実に向上させる新たな時代を築くことになる。現在、日本のワイン業界をリードするワインメーカーたちは、まさにこのウスケ・ボーイズたちなのだ。
今、日本のワイナリー数は500に達しようとしている。その数は2007年以降徐々に増加してきた。背景には、それまでワイン醸造免許を取得するには最低年間生産量6,000リットルが必要であった点がある。この量は日本の平均的なブドウ畑の面積を考えるとハードルが高かったのだ。だが2008年以降、「ワイン特区」に指定された地域では最低生産量が2,000リットルに引き下げられたことでそのハードルが下がった。現在日本はワイナリー設立バブルとでも言うべき状況にあり、ほぼ全都道府県にワイナリーが存在する。そのほとんどは非常に小規模で、日本国内でも流通量は限られているものの、日本のワイン生産シーンが新たな時代に入ったことは確かだろう。
かつて日本では、ワインも果実酒の1つとして他の果実酒と合算されていた。そのためブドウを原料とするワイナリーの正確な統計は2015年からのみ(2016年発表)。
日本の気候とブドウ栽培
日本でワイン用ブドウを栽培する際の大きな課題のひとつは気候、正確には気候の多様性である。最北端の北海道は北緯41~45度に位置し、気候は亜寒帯気候だ。冬にはほとんどの地域で雪が深い。一方最南端の沖縄は亜熱帯気候の常夏の島だ。その間に横たわる日本列島の気候をすべて網羅するには本が一冊必要になるため詳細は今後の記事に譲り、代わりに日本の大部分に当てはまる共通点、すなわち降水量の多さに焦点を当てて書こうと思う。
私自身は日本の明解な四季の移り変わりを美しいと思う。だが、ことブドウ栽培に関してそれは決して利点ではない。日本はいわゆるモンスーン気候。6月の梅雨(つゆ)と9月から10月にかけての台風は、ブドウの生育期に多くの雨をもたらし、菌類による病気のリスクを高める。加えて、関東以西の多くの都道府県では真夏の気温が35℃を超えるため、酸の低下や場合によってはブドウの成熟遅滞、黒ブドウの着色不良などを引き起こす。
そんな環境の中でブドウ栽培者たちはまず、雨からブドウを守る多くの方法を見出してきた。
傘かけ (写真2)
ブドウの房1つ1つに手作業で、防水コーティングを施した紙の傘をつける手法。生食用ブドウに使われていた手法だがワイン用ブドウに使用しているワイナリーもある。
- グレープ・ガード (写真3)
傘よりも広く使われている手法の1つで、フルーツ・ゾーンをビニールシートで被う。一見湿度がこもりそうに見えるが、病害の発生率は圧倒的に低くなるという経験を多くのブドウ生産者が有している。
レインカット (写真4)
ブドウ樹全体を覆えるようにブドウの列ごとビニールシートの天蓋をかける手法で、樹冠全体の病害リスクを低減することができる。同時に(ブルゴーニュほどではないものの日本でも時に起こる)雹の被害を最小限にできるメリットもある。
上記はどれも6月の入梅前から収穫期直前まで設置することが一般的で、設置と撤去を毎年繰り返さなくてはならない。地道な作業の積み重ねを大切にする日本の職人気質の表れとも言える。
一方、日本のブドウ生産者は特有の仕立て方も発展させてきた。
X字短梢 (写真5)
棚仕立ては日本のおよそ3分の2のブドウ畑で採用されている手法だが、剪定方法は地域によって異なる。代表的なものの1つがこのX字短梢剪定だ。主幹の間を4-5m離し、結果母枝をX字に近い形で、実際にはもっと複雑な網目状に広げていく手法。生食用ブドウに使われていた手法だが、雨が多く比較的肥沃な日本の土壌で樹勢をコントロールするために有効で、畑の表面温度も下げることができる。ただし、光合成に必要な葉面積を確保しながら太陽への露出をコントロールするため、剪定には熟練の技が必要とされる。
写真2-5:株式会社飯田提供
斜めに植える主幹 写真6、7 :北海道ワイン提供
雪深い北海道だけで見られる、ブドウ全体を雪の下に埋めることで凍害を防ぐ手法。作業がしやすいよう主幹を最初から斜めに仕立てておくのが特徴。毎年ワイヤーに固定された結果母枝を収穫後に主幹ごと倒し(写真7)、春に1本1本手作業で引き起こして再度ワイヤーに固定する。かなりの重労働だが、北海道のような寒冷地では欠かせない防御法である。
日本の主要なワイン産地
現在はほぼすべての都道府県で日本ワインの生産がおこなわれており、山梨が生産量という意味でも知名度でもトップを走り、長野と北海道がそれに続く。
データ出典:国税庁令和6年アンケート
*上記ワイナリー数には日本ワインのみを生産しているワイナリーと国内製造ワインも同時に生産しているワイナリーが含まれる。
日本ワインの味わいは?
日本では、海外のスタイルを模倣する時代はほぼ終わったと言える。海外でワイン造りを学んだ経験を持つワイン醸造家が増え、世界の流れに従ってオレンジ・ワインやいわゆるナチュラル・ワインを作る生産者も存在するが、近年は繊細で軽やかな「日本らしさ」「わびさび」を表現することに努める生産者が増えている。
もちろんそのスタイルはブドウの品種にもよる。現在日本には実に多くの品種の選択肢があるので、中でも日本で注目のブドウ品種をいくつか紹介したい。
日本特有の品種
甲州:果皮がピンク色をした日本を代表する品種。DNA解析によると71%がヴィティス・ヴィニフェラとされており、ヴィティス・ダヴィディとの交配種であることが判明しているが、具体的な品種名は不明。ニュートラルな品種であるためシュール・リー、樽熟成、スパークリング、グリなど多様なスタイルのワインが造られる。山梨県が生産の中心。なお、甲州とは山梨県を指す古来の名称でもある。2010年OIV登録。
マスカット・ベーリーA: 新潟県にある岩の原葡萄園の創設者・川上善兵衛がベーリーとマスカットハンブルグを交配し1940年に発表した黒ブドウのハイブリッド。アメリカ系のDNAを持つためフォクシー・フレーヴァーが出やすいが、ピノ・ノワールと間違えるほどエレガントで上質な、フォクシー・フレーヴァーをほとんど感じない赤ワインを生み出す生産者もいる。山梨、山形が有名。2013年OIV登録。
山ブドウ(Yamabudo)系交配種:山ぶどうは、アジア系種であるヴィティス・コワニティ(Vitis coignetaie)に属する野生のぶどうで、特に北日本に多く見られる。山ブドウは果皮も果肉も色が濃く非常に酸が高いのが特徴。そのため、交配種の多くもその特性を示す。有名な山ブドウ系交配種にはヤマ・ソーヴィニヨン(山ブドウ×カベルネ・ソーヴィニヨン;岩手県が有名)、山幸(山ブドウ×清美;北海道が有名:2020年OIV登録)などがある。
日本に定着した海外品種
アルバリーニョ: 原産地であるスペイン北西部やポルトガルの地域同様、雨の多い日本の気候で本領を発揮している。新潟、富山、大分が有名。
メルロ:とくに長野県塩尻地区が有名。
その他、1872年来日本で栽培されてきた歴史があるデラウェア、北海道のケルナー、長野のナイアガラなどもぜひトライしていただきたい。
2020年時国税庁の統計によると、日本国内でのワイン流通量に占める日本ワインの比率はわずか5.4%で、輸入ワインの流通量の方が圧倒的に多い。また、生産量が100kℓ未満のワイナリーが90%近くを占める関係で、日本国内ですら、入手可能な日本ワインはまだまだ少ないのが現状だ。とはいえ、トップレベルの日本ワインは、中国、台湾、香港といったアジアの主要市場だけでなく、ニューヨーク、パリ、ロンドンといった海外市場にもどんどん進出している。一方、日本におけるワイン・ツーリズムはまだ黎明期にあるが、ワイナリーの数が増え、国内外での関心が高まっている現状を鑑みると、ツーリズム産業が成熟に至るのも時間の問題だろう。
写真1 サントリー登美の丘から見た富士山 撮影:潮上史
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